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ああ、懐かしの少女漫画・講談社文庫
2011年10月
本書を読んで私は昔の記憶が甦り、以下の紹介(相変わらず本の紹介にはあまりなっておりませんが・・・)では、ばんばん当時のマンガやTV番組名を出しますが、どう考えても読者層の中では年長組の私の話に馴染みがある人は少ないでしょうから、↓のリンクから各年代の出来事や流行などをチェックしてみてください。
「ザ・20世紀」というサイトですがいわゆるニュースだけでなく世相風俗の記述が詳しくて大変参考になります。

1965年(昭和40年) 1966年(昭和41年) 1967年(昭和42年)
1968年(昭和43年) 1969年(昭和44年) 1970年(昭和45年)

昭和30年生まれのジキルが知っていたのは、「楳図かずお」と「一条ゆかり」だけです。まあこれは当時は、なかなか男の子が積極的に少女まんがを読む機会はなかったということもありますね。

実は私の妹は姫野さんと同い年。その関係で私も「りぼん」とか「なかよし」は読んでいたはずなんですが、ほとんど記憶がありません。わずかに弓月光の「にくいあんちきしょう」を覚えていますが、調べると「りぼん」連載は大阪万博の年、1970年とのことなので私はすでに中学生だったことになりますが、そのころは完全にサッカー少年であまりマンガを読んでいた記憶がありません。

それ以前の小学生時代、たぶん1966〜69年(昭和41〜45年)ぐらいまでの私は学校の図書館にあった小学生向けの小説とかはほとんど読んでしまい、興味の対象は貸し本屋のマンガに移っていました。本書にもでてくる「悪魔くん」や「巨人の星」「サイボーグ009」などがが連載されていた少年マガジンが100万部を突破し、TVでは「ウルトラQ」が終わってすぐに「ウルトラマン」が始まったのが1966年。

私は、「ウルトラマン」や「わんぱくフリッパー」や「魔法使いサリー」より「それいけスマート」や「奥様は魔女」や「かわいい魔女ジニー」のほうが好きでした。「サンダーバード」や「マグマ大使」よりも実写版「バットマン」や「宇宙家族ロビンソン」のほうが好きでした。

「黄金バット」や「コメットさん」よりも「インベーダー」や「スパイ大作戦」や「タイムトンネル」が好きでした。なぜ洋モノが好きだったかというと、単純にでてくる女性の服装が胸を強調していたり体の線がはっきりでていたりしてなんとなくHな感じ?がしたからですね。

ああ、懐かしい。少女漫画はひとつもでてきませんが、本書がスイッチになってどんどん思い出してきました。中学高校とサッカー部でしたが68年のメキシコオリンピックでサッカー日本代表が銅メダルを取ったのがサッカーを始めたきっかけです。

街の中心部にあった貸し本屋は子供たちでいつもいっぱいで、その場でいくらかのお金を払うと隣接の座敷に上がってマンガが読めました。私はどちらかというと借りて家で読むほうでした。買うのは月刊の「ぼくら」か「冒険王」ぐらいで週刊のマガジン・サンデー・キングは買ってもどれか一冊がせいいっぱいでした。

別に貧乏ってわけじゃありませんでしたが、子供が駄菓子以外のものを買うのが珍しい時代でしたから。たまにコロッケを肉屋で買ったりはしましたけどね。一個10円。いちばん安いところでは当時一個5円でしたが、ポテトのなかに入っていた黒っぽい粒はひき肉ではなくて芋の皮だったりしました。

う〜、なんだか甘ずっぱくなってきました。小学生の私は色白で天然パーマで大人しくお人形さんのようと言われた(プッ)こともあったのよ。いやほんと。

いったいこの紹介文(?)はどこに着地しようとしているのかわかりませんが、あらためて自分の小学生時代のニュースや文化風俗を上のリンクサイト「ザ・20世紀」で確認して思うに・・・。ああ、自分がスポンジのようにありとあらゆるものを吸収できた時代の文化風俗が、現在の自分の礎になっているということを再発見したということでしょうか。なにせ今じゃスポンジはカスカスで給水どころか保水もできないんですもの。

それにしても私はネットの力を借りてやっと昭和40年代にタイムスリップできたのに、姫野さんは読んだマンガのセリフまで出てくるんですからすごい。巻頭の付録写真ももう歴史的コレクションと言えるでしょう。

本書はものすごい少女漫画マニアや研究者に向けたものではないので、私のような少女漫画に馴染みのないオヤジでも楽しめました。
ちなみに「復刊.ドットコム」で松尾美保子の「ガラスのバレーシューズ」は10月18日現在9票でした。
コミックパークでは検索に引っかからず。ただしここは原本があれば一冊からでも作ってくれるかもしれません。

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