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『青春とは、』 文藝春秋
2020年11月

ちっともキラキラしていない。でも、青春だった。
スポーツジムのインストラクターとしてはたらく六十代の女性、乾明子。

配偶者なし、子どもなしの彼女がコロナ下のひきこもり生活で思い出したのは、共学の公立高校で過ごした日々のことだった。

暗く、息苦しい家庭で育てられ、劣等感に苛まれながら生きていた。自由に友達に電話もかけられず、遊びにもいけず、お小遣いももらえなかった。でも、「学校」でも生活だけは自由だった。

重信房子好きの先輩から送られてきた詩。共学校においては肩身が狭いはずなのに、それを気にしていないように見えたスポーツのできない男子。いつもマスクをつけていて七十二歳くらいに見えた先生。京都会館で恩師と見た、ミッシェル・ポルナレフ―――。

昭和五十年代のフツウの青春が、いま鮮やかに描きだされる。

by文藝春秋出版局
コロナの日々にじっくりゆっくり読むにはぴったりの本でした。
ネットもスマホもない昭和50年代を知る人たちに姫野さんが投げるのはど真ん中の剛速球。打席に立った読者はそれぞれの胸にしまっていた恥ずかしい青春の思い出を「あ、いや、それは・・・やめて」と、白日のもとにさらけ出させられて3球3振、手も足もでません。

私などは少し上の世代なんですが、舞台となる田舎の町や高校の具合(ローカル線駅とか、周辺の感じ、都会との距離感など)がものすごくリアリティがあって、関東と関西の違いも気にならずに楽しめました。例えば電話も私の家では茶の間にあってとてもデートの約束なんかできるような雰囲気ではありませんでしたが、いつだったか玄関近くにもう一台(スウィッチで切り替える方式)が入って少し長電話ができるようになったことを覚えています。

物語は静かな語り口で淡々とすすみます。いわゆる学園モノと違って朝パンを食べながら角を回るとイケメンの男子とぶつかるなんてことはありません。ドロドロの三角関係も血みどろの決闘もありません。ましてや青い性の匂いたつようなベッドシーンなども。

考えてみれば我々凡人の人生にそうそう映画のワンシーンのような事があるはずもなく、かろうじてあった様々な小さな出来事をひたすらデフォルメして無理やり作られるのが一般に青春ドラマと呼ばれて小説や映画になるものなのですね。

それにしても淡々と語られてゆく小さな出来事の積み重ねが、さながら回転する宇宙の銀河のごとく星々の記憶を束ねて、後戻りできない数十年の重さ(勝手に読者層を限定しています)となって最終ページを読む者の上に降り注ぎます。なんかカッコよく語ろうとして意味不明になっていますが、ここは勢いで押し切ります。

本小説最後の最後の一言はフレーズとしては普段私たちが普通に使う本当にありきたりな一言なのですが、その一言が数十年の時の重みを携えて何とも言えぬ暖かい思いが去来し自分でも驚くほどポジティブな気持ちになりました。なかなかこの年でこういう前向きな気持ちになるのは珍しいことです。とは言え脈絡なく溢れる自分自身の思い出が整理しきれずに溺れそうな感覚もありました。

作中の様々な場面が引き金になって良いもの悪いもの、それこそ思い出したくなくて記憶の奥底にかくしてなかったことにしていた思い出なんかも溢れてくるのですから、読後の余韻や感動とばかり言っていられないんですよ。私みたいな六十過ぎのオッサンが、なんだか意味もなく立ち上がってひとしきり部屋の中をウロウロして食べたくもないミカンをむいたりしてソワソワしてしまいました。

ところで、まず読む前に本書の装丁をじっくり眺めてみましょう。これぞ「ザ・教室」という写真ですね。それぞれ自分の通った学校を思い浮かべたところで、ハイっ、カバーをとってみると、おぉ、懐かしいものがでてきますねえ。裏表紙にはアルファベットで名前が書かれてあります。そうこれはあたかもHIMENOさんの持っていたノートを読むような形になっているんですね。

さてここからは、いつものようにジキルの極私的話になります。

読みながら記憶を喚起されるのは姫野ファンにとっては珍しいことではありませんで、例えば『喫茶店』『ツ、イ、ラ、ク』『昭和の犬』『終業式』などがあります。20年前に私が書いた『終業式』紹介文の一部はこんなんです。↓

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読み進んでいくうち、遠い昔に胸の奥に仕舞って忘れていた何かが、ザワザワと蠢き始めて、甘酸っぱい17才の想いに45のオヤジが戸惑ってソワソワ一人赤面。だってね、私も恥ずかしながら同級生の女の子と交換ノートやってたんだもの。

その娘とは二人で体育祭をズル休みし、バスで1時間かけて霞ケ浦湖畔の病院に行った。共通の友人(男)が結核で療養中だったからだが、実は彼とはそれほど親しい間柄ではなくて、お見舞いは完全に口実だった。
病院へ行ってみると結核の療養棟はみすぼらしくて、ドヨーンと重たい静けさに満ちていた。友人が暗い口調で「体育祭かあ、君たちは最後なのにいいの?出なくて。俺は留年するから来年があるけど・・・」と言うのを聞いていたら、自分がこんなんでいいのかと思い始めて・・・。
ちょうど親や担任と進路のことで揉めていた時期。彼女と二人デパートでナポリタンかなんかを食べながら、どんどん口数少なくなっていったあの日。家に帰れば、いきなり学校さぼってどこ行ったと問い詰められて(父親は私が行ってた高校の教師)灰皿飛ぶは母親泣くはの積み木くずし状態。修学旅行では別の娘に告白するは、朝の通学路でいつも遅刻しそうな時間にすれ違う他校の娘にラブレター渡しちゃうは、んー、思えば怒涛の高校生活であったことよ。
こう書いてると軟派みたいだけど、2年まではバリバリの体育会系。サッカー命。ところが、3年になってすぐ怪我でしばらく運動が出来なくなって、色恋に目覚めちゃったのね。あと音楽方面にも目覚めちゃって、勉強そっちのけでギター練習の日々。これ全部時系列に沿って思い出したわけじゃなくて、本書を読んでるとちょっとした部分がスイッチになってあれこれ浮かんできちゃいます。


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文体がなれなれしくて鼻につきますが、はぁ、20年前ですもの・・・遠い目。
本書『青春とは、』ではもうこの表紙の机とカバーをとったあとの意匠でいきなり記憶の天の川状態(なんだそりゃ)で、読む前からソワソワしてしまいました。読む前にちょっと買い物に出かけたのですが、早く帰って読みたくて自転車で田んぼ道を立ち漕ぎ爆走する不審なオジサン。背中のリュックからは長ネギがはみ出ていました。実は読む前から表紙の教室写真、そのものズバリの机からいきなり思い出が溢れてきて、すでに田んぼ道では17才のあの日にタイムワープしていたのです。

それは私が高校三年になった最初の日でした。席決めが終わって座った机をふと見ると
「今日からこの席に座ります。よろしく」
と天板のすみに鉛筆で書いてあったのです。私の高校では定時制クラスがあって夜間は同じ教室を使うので、机には物を入れっぱなしにしないようにと言われていました。
まあ相手の性別もわかりませんが、私も
「今日からこの席に座ります、よろしく」
と返して、その後何度かやり取りをして相手が中学でバスケットをやっていたことがわかり、しかも女子らしいと判明しました。
で、文化祭で待ち合わせして会ったんです。なんか恥ずかしかったのでお互い友達連れでしたけど。背が高くてショートヘア―のおとなしい娘で昼間は工場で働いて、夕方送迎バスで学校に来ているとのことでした。

それからは放課後にサッカーの部活動をする時によく校門から入ってくる送迎バスを見かけましたが、結局また会うことはありませんでした。私の好みじゃなかったとかではありません。どちらかと言えば好きなタイプでしたから、たまに送迎バスを見るとドキドキしていましたもの。しかし会う時間の接点がなかなかありませんでしたし、相手は働いていて、夜は勉強していて・・・何不自由なく好きなサッカーをしている自分はなんなんだという思いもあったのです。

机のメッセージはその内やめてしまいましたが、やめた理由はその娘が私の同級生と付き合い始めたからで、その同級生とは↑の『終業式』紹介に出て来る友達、文化祭の時いっしょに行った彼。そう、彼はいわゆる帰宅部で時間があったのです。最もその後すぐ彼は結核になって彼女とは付き合うのを止めざるを得なかったのですけど。

本書では乾明子(これに関しては姫野さん本人と言っても良いかと思われます)にとってそれこそ驚天動地・空前絶後の出来事として、ミッシェル・ポルナレフのコンサートに行って握手をしてもらったことが重要なモチーフとして描かれています。それを読みながら私にとって高校の3年間でそこまで大きな出来事はあっただろうかとあれこれ考えてしまいました。

2年の夏に一人で沖縄に船旅したのは大きいと言えば大きい出来事ですが、実際は向こうの親戚の家に泊まったので特に刺激的なこともなく記憶に残っているのは往復の船が思ったより揺れて、若く体力のある私でもすごく疲れたことだったりします。なにしろ片道2泊3日ですもの。船で会った東京の高校生2人組と南沙織の実家を見に行こうと約束(実家を見てどうしようってのかわかりませんが)したのですが、当日は親戚の人が慶良間島に連れていってくれることになって行けませんでしたし・・・あっ。

南沙織で思い出しましたが、3年の時近くの町(と言ってもバスで小一時間ぐらい)に南沙織が来るというので学校をさぼってギターを持って行ったことがありました。チケットも持っていませんでしたが、会場の入口付近をウロウロしていたら、なんか主催者らしき関係者のおっちゃんに呼ばれて「なんだサインか。ん?ギターに書いてもらうんけ?」とか言われて、もごもごしているうちに会場に入ってしまいサインも貰ってきてくれました。

なりゆきでそのまま最前列に座ったりして。なんだかすごくゆる〜い運営でしたね。南沙織はテレビで見るのと同じ(当たり前だ)で、今と違ってカラオケではなくバンドの生演奏で驚くほど迫力があって、歌がうまくてプロでした(当たり前だ)。でも今、思うと私は南沙織が大好きではありましたが、それは乾明子(姫野さん)のミッシェル・ポルナレフに対するような思いとは違うような気がします。田舎の17才にとってのドキドキという意味では似ていますが、私には乾明子のような必死な渇望というものはなかったように思います。その証拠にサインを貰ったギターはどこかへいってしまってもう持っていません。

また記憶の海に深く潜っていると急に「a top of foolish」というフレーズが浮かんできました。あれは2年の英作文の授業だったか。サラリーマンが大勢いて一人が空を指さしているような写真を見て英文で説明するという課題でした。

例えば「あれはなんだ!鳥だ、飛行機だ、ウルトラマンだ!シュワッチ!」
(What's that? Bird? Airplane? No! It's Ultraman! Shuwatch!)
とかの簡単な英文で、ウルトラマンの発音やシュワッチのスペルなどで盛り上がったりしていました。
先生が次はちょっと興味深いが問題のある文だと、読み始めたのが私の作文でした。

おぼろげに覚えているのは「灰色の同じような背広を着て死んだような眼をした人々よ、働け。働け。毎日毎日働いて疲れ果てるなんて愚の骨頂だ」みたいな文で、確か愚の骨頂を(a top of foolish)って書いていました。
先生は17歳の高校生がどういう立ち位置でこんなことを言っているのか、たいへん問題があると怒っていましたが今考えてもどうしてそんな文を書いたのかさっぱり覚えていません。

たぶん当時読んだ本に影響されていたはずなのですが・・・。太宰か安吾かランボーか、はたまたドストエフスキーか、いや多分ポケット版の平凡パンチか。まったく17歳というものは難儀なものよのぉ、腰を伸ばしてトントン。
などと考えていると次々に脈絡のない記憶が沸き上がってきて、記憶のダムは決壊してもう溺れそう。どっちかというと記憶の頻尿がだだ漏れのボケ老人かなどと妙にリアリティのある自虐になってしまうのであります。

もう少し私の話にお付き合いください。
本書のなかに出てくるギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」のこと。一般的には「アルハンブラの思い出」と言われていますが、ほとんどの人がどこかで聞いたことがある美しいメロディーですね。

あれは高校3年の夏。私はよく友人達と深夜の公園に集まっておしゃべりをしたりギターを弾いたりタバコを吸ったりしていました。友人達にとっては受験勉強の息抜きだったのでしょうね。ある日、よく集まるメンバーの従兄(別のクラスで話したことはなかった)が来ていて「アルハンブラの思い出」を弾いたのです。
それまではみんなで陽水の「断絶」(歌詞に「夜中に〜デートしたぁー」というのがあった)を夜中の公園で絶唱(周りに人家はありません)したりしていたのですが、初めて聞いた「アルハンブラの思い出」は、なんだか深く深く私の心に沁みて、私がクラシックギターを始めるきっかけになったのです。

翌年、私が楽器店に勤めながら独学で「アルハンブラの思い出」が弾けるようになった頃。プロのレッスンが無料で受けられるという企画があって、応募者が少なかったこともあって私も参加できることになりました。たまに連絡をとりあっていた公園で「アルハンブラの思い出」を弾いてくれた彼も誘いました。
講師は荘村清志さん。私はもちろん「アルハンブラの思い出」友人はやはりトレモロの曲で「夢」。

トレモロはどうしても3本指で行うトレモロばかりに注意が注がれがちですが、大事なのは親指のアクセントだと教わりました。
いまでも「アルハンブラの思い出」を弾く時はそのアドバイスが浮かびます。まあミスタッチが多くて「いーっ・・・!」となってしまうんですけど。

実はその2年後、私は実際にスペイン。グラナダのアルハンブラ宮殿を訪れて、中庭のはずれにあった小さなステージであつかましくも「アルハンブラの思い出」を演奏しました。もちろん観光シーズンも終わって誰もいないのを確かめてから弾いたんですけど、実はちょっと自己満足の達成感のようなものがあったりしまして。あぁ、お恥ずかしい。若気の至りです。えっ、何で「ある晩ブラ」・・・打ち間違えた「アルハンブラ宮殿」へ行ったかというと、もちろんその後「アルハンブラの思い出」を弾くときに、本当に思い出を弾くことになるからです。ふっふっふ。ふが三つ。

その後いっしょにレッスンを受けた彼とは疎遠になってしまいましたが、彼は30代で会社勤めをやめて紆余曲折があったようですがプロのフラメンコギタリストになったと聞いています。プロといってもリサイタルを開いたりするプロではなくて、様々なシーンでフラメンコダンスの伴奏をしたりギター教室で教えたりするプロのようですけど。もう数十年会っていませんが、どうしてクラシックからフラメンコにいったのかなど(演奏技術などは似て非なるものなんです)聞いてみたいなあと思っています。

本書には読む人それぞれの記憶喚起スウィッチがいたるところにちりばめられています。それはもちろん良い記憶だけでなく本当は思い出したくないから心の奥底にしまい込んでしまったいやな記憶もあるかも知れません。それでもそういう記憶の蓄積があるのは幸いなことだと思います。それは過ぎた時間のもたらす幸いです。いつまでも何回でも反芻できる幸せな記憶も、忘れてはならない戦争の記憶も、忘れたい恐怖の記憶も、胸が苦しくなるような恋の記憶も、何気ない日常の記憶も、おいしいものを食べた記憶も、病気に苦しんだ記憶も、旅先での美しい景色の記憶も、大事な人との出会いや別れの記憶も、生きていればこそすべての記憶は果てしなく流れる時間の中では相対化されてそれぞれの胸の中に広がる幸いとなるでしょう。 

本書の主人公、乾明子は棚の整理中に見つけた古い名簿と借りたままの本から記憶がよみがえってきます。読者のみなさんがどの部分で記憶喚起スウィッチがONになるかはわかりませんが、さあ、みなさんもテーブルに紅茶とマドレーヌを用意して蘇る記憶の旅に出かけましょう。

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