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短編ベストコレクション 現代の小説2017・徳間文庫
2017年6月
『共学における体育と男子』収録。

2016年に文芸誌に発表された短編から厳選された17作品のアンソロジー。

収録された『共学における体育と男子』は人口4万人の田舎町の男女共学公立高校でのことを40年後に綴るという設定の「記憶シリーズ」の中の一作。

40年という時間が経っても、語り手の高井には鮮明な記憶が残っていて出来事の不可思議さはそのままでですが、淡々とした筆致で描かれています。姫野さんの場合、記憶そのものが私のような凡人と違ってものすごいディティールにまで及んでいるのは周知のことですが、本作でも高井は40年前の人物の「肌つや」を覚えています。それにしても時間と共にどんどん記憶が薄れていく私などからすると、想像を絶する脳内状況で巨大な記憶の塊に押しつぶされはいまいかと心配になるほどですね。

そんな私でも本作や『ちがうもん』や『昭和の犬』などを読むと、普段はどこかに埋没していたであろう記憶が呼び覚まされることがあります。今回はもちろん体育のことが思い出されました。高校に入学してすぐの授業で長距離走があって、一周約1キロあった学校の周りを5周してタイムを計るというものでした。3年生のクラスも同じ授業で30秒前にスタートしていたのですが、私のクラスはスタートしてすぐにダラダラ走っていた3年生たちに追いついてしまい、遠慮しているとどんどん遅くなりそうでした。で、全力で走って1周目で3年生を全部抜いてトップでスタート地点に戻って来てしまいました。タイムを計っていた先生は「無理すると後が続かないよぉー」と言っていましたが、私はそのまま独走してトップフィニッシュ。

こう書くとただの自慢話なんですが、姫野作品きっかけで呼び覚まされる記憶の肝はそこにはありません。実はその頃は高校に入ったものの私のクラスには女子がいなくって「なんだよ共学なのにぃ〜」と内心がっかりして少し落ち込んでいたのです。そしてたまたまその時は体育の授業を見学していた3年生の女子が数名いて、前を通る度に応援してくれたのが嬉しくて、ついつい頑張ってしまったというのが真相なのでした。記憶はそこから膨らんで、恥多き青春の日々を脈絡なく辿ってほとんど妄想のように変容してぐったり疲れて我に返るのです。現実の私は2週間前に何気なく振り向いただけで捻挫をした足首にまだ固定用のサポーターを付けてよたよた歩く老人。でも・・・。あの日、上がった心拍数は明らかにランニングだけのせいではなかったんです



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