直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

近所の犬・幻冬舎
2014年9月
直木賞受賞後の第一作書下ろし小説。まず装丁がかわいいです。裏表紙の肉球などは犬猫好きにはたまりません。

とは言え、ブログなどで姫野さんが書いているように「私のペットはとてもかわいいでしょ」的な、ありがちなペット自慢ではありません。そもそも姫野さん諸事情あってペットを飼っていません。理由は本書に詳しく書いてあります。

以前「昭和の犬」のネット評で(人のペットのことを書くなら自分で飼えば?)と言っているのがありましたが、都会でペットを飼うのはそんなに簡単なことではありません。田舎ではそのハードルは低いかもしれませんが、生き物を飼うということにはそれなりの条件と義務が必要になるものです。

実はジキルの住む茨城県は犬猫の殺処分数が全国トップクラスらしくて・・・。と、ここまで書いて一応きちっと調べておこうと検索してみたら、なんと犬については8年連続全国トップでした。その理由としてあげられているのが、全般的に家が広く敷地内で放し飼いにされていた犬が逃げ出して野犬化する。そして温暖な気候が野良犬の生存を助けるのだそうです。そして犬猫ともに避妊や去勢手術をしない飼い主が多いのが問題なのだそうです。う〜む。

私が今の場所(木工所跡の広くボロボロの中古物件)に引っ越しをしてから14年になりますが、当初は近所の犬(もちろん飼い犬)がよく敷地内に入ってきていましたし、ついこないだは首輪をした犬がちょっと弱った状態で駐車場内に座り込んでいました。とりあえず猫用でしたがドライフードと水をあげて室内で用事をしてから様子を見るといなくなってしまいましたが、近所の犬ではないようでしたしあのあと無事に飼い主の元へたどり着けたのかどうか。

ある時は夜遅くに暗い道を自転車で走っていたら結構大きい犬が目の前をタッタカと走って横切ったりしました。私はちょっと驚いてしばらく立ち止まって行方を目で追っていましたが、驚いたのは突然犬に出会ったからではなくて犬が私には目もくれなかったからでした。犬は何かに追われているでもなく何かを追っているでもなく、家に帰ろうと急いでいるようでもなく・・・まるで、人がジョギングをしているような雰囲気だったんですもの。

猫に関してはそもそも引っ越し前から野良猫が住み着いていたようで、駐車場の屋根裏で生まれた3匹を飼うことになったりしました。「昭和の犬」紹介記事で書いたキジトラはあの後ぱったりと姿が見えなくなってしまいました。ちょっと残念で寂しく思っています。

本書の帯に・・・もっさり暮らす或る小説家が、身辺の犬たちを愛でる「犬見」私小説・・・とあります。

もっさり?

犬見(いぬみ)?

私小説?

まず「もっさり」について。一般の小説家に対するイメージは、ダバダーとかいって書斎みたいなところでコーヒーを飲んでる小洒落たオヤジという感じかもしれません。あるいは陽光そそぐサンルームでさりげなくバカラのグラスでシャンパンを飲みながら犬と戯れる通販生活?ってのもあるかも。

しかし直木賞作家「姫野カオルコ」の日常はひたすら部屋で書き続け、空いた時間は心身のバランスを保つためにジムでエアロビクスをする。ジム通いのときはもちろん、普段もジャージ姿。直木賞受賞会見でジャージ姿が話題になりましたが、あれはつまり普段着ということなんですね。

犬見・・・いぬみ・・・というのは、読んで字のごとく犬を見ること。飼ってないんだから街で犬に触れるということは他人が散歩させている犬に触れるということで、その為には普段から街で見かける犬に注意を払うことになります。犬見です。で、まあ犬を見ていればどうしたってその飼い主のことが目に入りますから、否応なしに人間ウォッチングにもなります。

で、私小説ですが、前作「昭和の犬」が自伝的要素の強い小説で今回は私小説という位置付けです。「昭和の犬」には底流に昭和という時代の影の部分(具体的には昭和30年代にはまだ生々しく残っていた戦争の記憶など)というテーマもあって、より小説的な手法を駆使した作品でしたが、「近所の犬」は身近な事実をもとに「私」の視点を固定してエッセイ的な読みやすさがある私小説ということです。

さて、ジキル的「近所の犬(猫)」の話。 ついこないだの仕事からの帰り道。住宅地と住宅地の間にある広い田園地帯のなかを流れる小川の橋を渡ってすぐの所で、前に止まったタクシーがクラクションを鳴らしていました。すぐ横では中型の老犬を散歩中のおばあさんが「ほら、どきなさい。危ないわよ」と言っていますが、どうも連れている犬のことではなさそうです。自転車の私はもしかしてと思ってタクシーの前に出てみると、案の定タクシーの真ん前、道の真ん中に白い猫がちょこなんと座っていました。まあ、田んぼの中の道で車はほとんど通らない道ですがあまりにも猫は警戒心がなくて、犬を連れたおばあさんの飼い猫かと思ったのですが、おばあさんはタクシーの運転手さんに「すみません。野良なんですぅ」と言っていました。

私は自転車で猫を少し押すような感じで横の草むらに移動させました。タクシーは怒ったようにアクセルを吹かして去って行きましたが、草むらの猫は特に気にもしていないようで悠然と毛繕いをしていました。

数日後の同じ時間同じ場所。遠くにはまだ夏の名残の入道雲も見えていますが、真上を見上げれば抜けるような青空の所々に秋の気配を漂わすイワシ雲があって、ちょうど私のいる所からは沈みかけの夕日が目の前の田園全体をセピア色に染めていました。小川の橋から延びる土手の横。草原を散歩する茶色い犬とおばあさん。遠くから見ている私にはまるで印象派の絵画のような光景でした。そしておばあさんと犬の周りをちょこちょこと動き回る小さな白い影。あの猫でした。

私はこの時の気持ちをうまく文章で表現できませんが、なんだか・・・何かが琴線に触れたらしくて・・・胸がキュンとしてしまいました。

相変わらず本の紹介から離れるばかりで何を言いたいのかもわからなくなっていますが、すっかり私も「犬見」「猫見」の日々なのです。↓の猫は私が時々撫でさせてもらっているお気に入り。私が近づくと自分から「なでてちょーだい」と、このような恰好でおねだりされるので、もうたまりませんね。

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