直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

ハルカ・エイティ・文藝春秋
2005年10月
1050枚の長編ですが、すんなり物語に入って行けるし何より読みやすい。実在の人物であるハルカさんは、とても魅力的で素直にハルカさんだけでなくまわりの登場人物たち全ての幸せを願いながら読みました。読後感はねえ・・・何と言ったら良いのか・・・じんわり・・・と・・・しみました。

この『ハルカ・エイティ』には『ツ、イ、ラ、ク』や『桃』、あるいは『終業式』などからも読み取れる共通テーマがあります。それはズバリ

「誰かと何かを共有する時間を少しずつ積み重ねることで生まれる不可逆的で貴重なナニモノかの存在」

人が年齢を重ねることにマイナスイメージを感じるのは、多分それが生命の終焉に近づくこと、つまり抗えない運命である死への恐怖があるのだろうと思われます。若いうちはエンドラインが見えない故に、無自覚な勇敢さや傲慢や無知や希望に満ち溢れて過ぎ行く時を惜しみはしません。ところが十年、十五年と時が過ぎたのちにやっと理解できる人の機微や、何気なく過ぎた時間が二度とない貴重な一瞬の輝きであったことを発見したりします。それが年をとるということですが、普通は経験則でしか理解しえない感覚ですね。しかし読者は本作品に流れる数十年の時間をハルカさんといっしょに追体験し、「誰かと何かを共有する時間を少しずつ積み重ねることで生まれる不可逆的で貴重なナニモノかの存在」を感じ取れます。

"ごくふつうの女性の、ごくふつうの生活を通して平凡という名のしあわせを描く" 本作は緻密な構成と読みやすい文体によって、読者層の幅を大きく広げそうです。実在の人物や出来事を元にした物語が、これほど読者を引き付けるのは "ごくふつうの女性の" と言いつつもやはり主人公のハルカさんが希有な存在だからではないでしょうか。作中で何度も述べられているように、ハルカさんはどんな不幸やマイナスの出来事においても、例えそれが針の先ほどのものであろうと幸せやプラスの部分を見出す天賦の才があります。それは、物語のつむぎ手である姫野さんの文才と出会って読者にまで影響を及ぼします。ベタな言い方ですが、本作の読後に訪れるのはほんわかした幸福感。いやほんとにハルカさんの幸せを分けてもらえるんですよ。これこそ読書の喜びです。

ところでコアなヒメノ式読者もご心配なく。しっかりいつものヒメノ式も散りばめてあって「よっしゃ、そうだ、言うたれ言うたれ!!」と快哉を叫ぶの場面も多いですよ。今まで姫野作品を読んだことがないけどまあ読書は好き、という人には「ちがうもん・文春文庫」をすすめてきましたが、この「ハルカ・エイティ」はさらに一歩進んであまり読書しない人にもすすめてみようかと思わせる作品です。あまり読書しない人には分厚すぎる本じゃないか? って・・・これがねえ・・・読み始めたらやめられないとまらない。厚さなど問題なく一気読みできるすぐれものです。

本書のモデルになったハルカさんの貴重な写真 →をクリック。

ハルカ・エイティ発売記念Q&A
2005年10月
■『ハルカ・エイティ』あとがき
                         いちおう私は戦後生まれである。いちおう、などという言い方を するのは「あなたって戦前の生まれみたい」と、よく人から言われ てきたからだ。育った家をふりかえれば、そこには東京五輪も大阪 万博も関係なく、ずっと太平洋戦争の影が落ちていた。父母に濃く かかり、来訪者の多くにもかかっていたその影は、子供にはひどく 恐ろしかった。が、幼い私が、遠巻きに眺めているだけで、なぜか 励まされる伯母がいた。彼女が高齢になってからは、もっと励まさ れた。なぜだろうと、あらためて思ったのが今作を書くきっかけで ある。  本書はノンフィクションではないが、実在の人間の、戦場での体 験はじめ、実際の体験をもとにした小説である。これまで自分がと ったことのないスタイルなので、性別、年齢問わず幅広い層の読者 の手に、本書がわたってくれるようにと祈っている。
姫野カオルコ(文藝春秋・刊『ハルカ・エイティ』より)


■新刊発売記念代表質問コーナー


えー、新刊発売の記念と紹介を兼ねて、誠に勝手ながらジキルが読者を代表して『ハルカ・エイティ』についての質問をさせていただきます。

質問@

今回は「ちがうもん」などよりも地名に具体的な記述が多く、物語 の場所がわかりやすい感じです。ただ、一部、鶇や風吹や宜間など 独特のネーミングで架空の町がでています。ここらへんは何か特別 の理由があるのでしょうか?

(A)
理由としてはふたつあります。
ひとつは、事実をもとにした小説である以上、登場人物のモデルに想定した 御本人や御家族の方のプライバシーに配慮したため。

もうひとつは、読者が公平に土地勘を持てるようにしたかったから。
ハルカは滋賀で生まれて大阪にお嫁にいった女性です。このへんは具体的に 実在の地名を用いたほうが、読む人も、方角というか地域がつかめる。でも、 その地域の、さらにどこかまでを実在の地名にすると、関西在住の人には よくわかっても、それ以外の地区在住の人にはピンと来ない。
架空の地名にすれば、架空ということで、読者いっせいに公平になりますか ら……。

ネーミングには、ちょっとした隠れ遊びをしました。
私は翻訳家の鴻巣友季子さんの日本語の美しさに敬服しています。鴻巣さん は最近『嵐が丘』を新たに訳し直されました。この名作は、長いこと、
〃主人公キャシーの家が「嵐が丘」にあり、ちょっと離れた「スラッシュク ロス・グレインジ」にエドガーの家があった……〃
みたいに訳されていましたが、鴻巣さんはキャシーの家が「嵐が丘」なのに、 もう一方がカタカナのままなのはヘンではないかと「鶇の辻(つぐみのつじ) 」と名訳されたのです。

そこで鴻巣さんに、〃キャシーの家とエドガーの家の距離に位置する二つの 町として、拙著で使わせてください〃とお願いして、快諾していただいたの です。

嵐丘市というのはちょっとへんなので「風吹市」にして、ここがアーンショー 家のような鬱蒼とした石の館がある暗めの町とし、風吹からちょっと離れた、 風吹よりはにぎやかな都会的な町を「鶇市」としました。

アーンショー氏(キャシーのお父さん)もヒースクリフも、商売をしに、ギマ トンなる都会に行っている。で、ハルカが嫁いだ先は大阪のギマトンにしよう と。それでギマトンから「宜間(ぎま)」と。

『嵐が丘』には実在のイギリスの町が出てくるところもあります。リバプール。 それでハルカが後年住む府下の市名はリバプールから「李土生(りはぶ)」と。

鴻巣さんは文章が美しいだけでなく外見もきれいで上品な方でして、〃きっと エミリー・ブロンテも喜んででくれることでしょう〃と、おやさしく言ってく ださったのですが、エミリー・ブロンテは鴻巣さんの訳は喜んでも私の小説は 喜んでくれるかなあ……。でもまあ、もう157年も前にお亡くなりになられ たので、怒って電話してくることはないでしょう(笑)



質問A

実在の人物の実際の出来事を元にした物語ということですが、かと 言ってノンフィクションではないとのこと。
と言うことは、事実と 作者の虚構が入り混じっていることになります。このあたりの案配 はどうなっているのでしょうか?

(A)
〃ここは本当でここは作り話だとつぶさに指摘できるほどの案配〃。
こう答えれば、小説を書く職業の人にはわかると思います。
そもそも小説というのは、こうしたことが書き手もわからないくらい、いろん なところからヒントを得てコラージュして、継ぎ目もぼやぼやになっています。 だから、誰かひとりの人間なり、何かの出来事なりをモデルにするということ はない、というか、できないんですよ。
(最初からモデルを設定せんとする目的を持って書かれたものは除く)

そういう意味で、今回の作品は例外的なので、「ノンフィクションではないが、 実話をもとにした小説」と言いました。でも、つぶさにお答えするのは、先の プライバシー問題もありますし、また、スペースの問題もありますので割愛し ましょう。

少しだけ?
そうですね。戦争中のことや、戦場での出来事はすべて実話です。私が直接、 会って話を聞かせてもらったことなどを主に参考にしました。ただ、そうした できごとが小説内での登場人物の体験ではない場合もありますから、そこは架 空ということになりますか。
ヘルメットの中を弾丸が旋回した体験談も、ほんとうにそれを体験した人の口 から私が聞いたものです。



質問B

今回の装丁は下地が透けて表紙の地になるというなかなか面白い作 りになっています。何気なくとまっている蝶も良いアクセントにな っていますし・・・。
装丁に関して何か特別に意図したものがある のでしょうか?

(A)
装丁は文藝春秋デザイン室の関口信介さんという29歳の男性が担当して下さ いました。イラストレーターの選定ももちろん彼です。イラストには村林タカ ノブさんを起用されました。
装丁作業については、著者である私はほとんどノータッチでした。やはりモチ はモチ屋におまかせしたほうが商品としていい結果になるだろうと。私はせい ぜい「粒餡がいい」とか「白餡にして」ていどの大まかなリクエストだけしま した。

「主人公は明るい人なので、それが伝わるようなデザインで。セーラー服をア イテムとして使ってほしい。他の細かなことはおまかせします」と。今回の装 丁が気に入ったという方は、ぜひ、掲示板に関口さんや村林さんへのメッセー ジを書き込んであげて下さいね。



質問C

主人公のハルカさんはもちろん、彼女のまわりに居る人物がたいへん印象的で 面白いのですが……、例えば華族の日向子さん……、星野さん……、緑川博士 ……、中には、どう考えても戦後日本の高度成長をある面代表する大物政治家 がいますね。あれはあの赤プリのあの人ですか?

(A)
まず日向子さん。
ハルカさんの仲良し同級生に、×爵令嬢というお嬢様がいらしたのは事実で す。ハルカさんとは別人の知人(高齢者)にも、同級生に×爵令嬢がいたとい う方がいらして、いろいろとお話を伺いました。それらを資料として……。詳 細はプライバシーの問題で秘密とさせて下さいませ。

ちょっと小説のラストのほうをバラしちゃいますが、あのびっくり仰天の再婚 劇は、嘘みたいですが実話です。このびっくり劇がすっかり落ち着いた後年に 顛末を聞きました。聞いた時の私は19歳年下の男性と交際をしており、けっ こう自分で自分に驚いていたのですが、「19歳年下なんて、そんなんは〃あ たりまえ〃や」とハルカさんに軽く流されてしまう始末でした。ハルカさんも、 この再婚劇にはさすがに驚いてましたよ。その再婚劇の主役の方は25歳年下 の男性との交際でしたから。
ちなみに、結婚15年を経た現在も、円満夫婦だそうです。「カレのお母さん とワタシのほうが、ワタシとカレより年齢差が少ないねん」だそうで、その方 はお姑さんとも仲よく、ショッピングや観劇を楽しんでおられるそうです。相 手の男性はサマーワに駐屯中と明かすと、みなさんにもいっそうびっくりして いただけるのでは? この夫婦でもう一作書けそうなくらい、私もびっくりし ました。

それからピストルさん。
ピストルといえばピストルさんですからね。
愛国婦人会の用事で上京したさいに食事をごちそうしてもらった話も、ほんと に私が聞いたことです。ただし、詳細については「これはフィクションであり 人名その他すべて架空のものです」と答えておきましょう。

十年ほど前、私はピストルさんの息子さんを、遠くから見たことがあります。 某出版社のさる集まりで。息子さんを見たからってそれがどうしたと思われる かもしれませんが、私は彼が昔からすごく気になるのです。屈折せざるをえな い環境に生まれた者としての運命を思うと…。すみません。話がそれてしまい ましたね。

緑川博士。
ハルカさんから聞いた話のうちで、私としてはこの人の娘さんと同級だったと いうのが一番インパクトがあったのですが、うむむむ、これはほんとにプライ バシーがありますので、このへんでやめときます。
星野さん。
これは実名で出しました。出しても問題ないエピソードだったので、ここでも ふれていいでしょう。
そうなんですよ。ハルカさん、星野仙一のお姉さんとゆかりが……。

野球といえば、推敲のさいに削った部分がありまして。
時子の結婚相手、宮迫哲爾は、軍隊時代、O氏と同じ部隊でした。元阪神タイ ガースのオーナーのO氏。それで、タイガースの選手のサインはもらいほうだ いでしたが、夫婦の娘、秋子は、少女時代に野球にまるで関心がなく、無頓着 に人にあげてしまってました。
遅ればせながら、今季、タイガース、優勝おめでとうございます……ってまた 話が逸れましたね。ごめんなさい。



質問D

作中でてくるハルカさんの親戚になったプロレスラーは、以前姫 野さんが角川文庫『ほんとに〃いい〃と思ってる?』で書いてい たのと同一人物ですか?

(A)
うーむ、これまた、御家族の方がいまも御存命で、おしあわせにお暮らしです からあまり詳しいことは……。
あのレスラーはあくまでシャークですので。ブラッシーじゃなくて(笑)
時子の娘、秋子は、成人して女子プロレスラーの神取忍さんと対談する光栄に あずかりました。プロレスと野球選手にはミョーにエンのあるハルカと時子と 秋子です……。


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