直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

ツ、イ、ラ、ク・角川書店
2003年10月
変奏曲以来ひさびさの恋愛小説。そう恋愛は理屈ではなく、ぽっかり開いた底無し穴に落ちる(墜落)するようなもの。読むと恋、それも熱帯低気圧のような風速30m級の恋?がしたくなります。

しかし少女の早熟というのは、私のような田舎のオジサンには本当に第三種接近遭遇。姫野さんの作品から少女の内面に渦巻くドロドロした情念や打算を学んではいます。が、現在はそもそも少女との接点がありません。自分が少年だった頃には、いやもう本当にただのガキでして、恋の駆け引きとか肉欲とかは遠い世界に住んでおりました。

そりゃあね、好きな人とかはいましたよ。いましたが、だからどうするという発想自体がありませんでした。中学一年のあの日。サッカー部だった私は練習が終わって薄暗い教室に戻ってきました。部室が手狭だったので、一年生は教室で着替えしていたのです。自分の机の上にきちんとたたんで置かれたシャツやズボン。・・・私じゃない。そう誰かが脱ぎ捨てた私の衣類を奇麗にたたんでくれたようなのです。で、私はマヌケな声で「あれぇー?」と言っただけ。その行為に込められたエロス的意味などわかりもせず、ただ誰か(当然女子の)が勝手に人の衣類をたたむことを不思議に思っただけでした。

夏の授業中に隣の女子が手を上げた時、袖の下に黒々とした毛が生えているのにショックを受け、サッカー部の合宿で風呂に入った時、一年生であそこに毛が生えているのはまだ少数派で、私を含めた他の子供たちは「どれどれ」と薄い髭のような陰毛を見せてもらったりしました。あぁ、少年老いやすく・・・。やっと高校生ぐらいになって男に目覚めたと思ったら、青年期などはあっと言う間に過ぎ去り二十才過ぎれば中味は中年オッサンといっしょ。その点、女子は10才いや6才からずっと女をやってます。

本書はそんな女子たちの日常と心理が克明に描写されています。オッサンである私には、まずそれが新鮮で興味深く、しかも驚愕の大奥秘話。なんぢゃそりゃ。いやほんとに、大人になってあらためてスカートめくりをしているような気分。そして描かれる「ど直球勝負」の恋愛。最初はハラハラドキドキ、最後は胸キュンの大純愛物語。

この説明では今一つストーリーがわかり難いでしょうけど、まあ読んでみてください。知らずに読んだ時のカタルシスは得難いものがあります。

今回は版元も力を入れているようで、各書店で平積み扱いの本書。随所にヒメノ式の表現を織り交ぜながらも、広い読者層に訴える普遍性を持っています。



ツ、イ、ラ、ク・角川書店
2003年10月
少女の内面描写はいつもながら著者の独壇場。実のところ少女たちは想ったり感じたりした様々なことを言葉で説明することはできない。そして、渦巻く思考と感情のもつれをそのまま描写すれば、シュールなカフカ的不条理として表出される・・・はずなのだが。著者は少女の心理を語る時、視点を微妙に少女の主観からずらして、しかもそれが第三者(神?)の視点ほどには客観の高みに至らない。この加減が絶妙で、読者は著者の罠に落ちる。

男という性別に属する私には、まるで永遠の謎であった女の心理がわかったような気にさせられる。させられるが、それは、ぶっちゃけ(何と言う言葉!)勘違い。特に恋愛は、論理的に「わかる」とか「理解する」とかいう世界ではなく、ドンと落ちるもの。原理と演繹のユークリッド的世界から、いきなり揺らぎと確率の量子力学の世界に放り込まれる。自分でも書いていることがよくわかっていないが・・・。

著者は現実の恋愛が不得手であると言う。しかし、想像力に欠けた人の恋愛実体験は他人が聞くと、つまらないもの。どちらかと言うと「勝手にすれば」なのだが、著者の描く恋愛は読者の琴線を確実に刺激する。ときには優しくつま弾くアルペジオ。時には慈しむようにトレモロで盛り上げ、激烈なラスゲアード(フラメンコ奏法)であなたの心をかき鳴らす。フラメンコでは、特に唄において、憎しみや悲しみや愛情が演者に憑依する瞬間を「ドゥエンテ」(黒い妖精とか魔性あるいは霊性と約されている)が来ると言う。最高の表現者にだけ可能な魂が痺れるドゥエンテの降臨。 私は「ツ、イ、ラ、ク」を読みながら確かにドゥエンテが来るのを感じ、鳥肌がたった。

本書は恋愛の様々な面を描いたものであるから、少女たちの性的思考がこれでもかと描写される。実に淫靡である。それに比べて男子は悲しいくらい直接的で幼稚な性に翻弄されるばかり。水で膨らんだコンドームが学校の廊下を転がるエピソードがあるが、まさに私の学校でも同じことがあった。その時の私は作中でワイワイと囃したてるアホな男子たちそのもの。あれは全国の学校で繰り広げられる光景なのだろうか。

「ツ、イ、ラ、ク」を読んだあと、あなたは卒業アルバムを引っ張りだして、想い出に浸るかも知れない。あるいは、アルバムから誰かを探すかも知れない。青春真っ只中の若者からすれっからしの中年まで、すべての読者を胸キュンにさせる姫野カオルコ渾身の長編恋愛小説。

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