直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

愛は勝つ、もんか・角川文庫
2000年1月(単行本は94年10月大和出版刊)
黄昏のベイエリア。ポルシェのリクライニングシートから見る空は、サンルーフのフレームで切り取られた、二人だけのスクリーン。もうすぐ上映時間なのに、彼は私に目をつぶれと言う。私、知ってた。今日のロードショーのタイトルは「星とキス」。彼の唇が私の唇に触れた時、私の胸は輝く星でいっぱいで、アア、「私のウンコ」。

ってなわけで、姫野カオルコはスカした文章が大っっっっ嫌い。プリティウーマンも大嫌い。オバQ音頭は好き。で、このオバQなんですがね。私、確か小学5年ぐらいの時だったと思いますけど、オバQのイラストコンテストかなんかで賞をもらったことがあります。ハガキにオバQ描いて(簡単です。毛が3本だけだし)送ったら、オバQの反物をもらいました。地は紺でそこに一面小さなオバQがプリントされてました。それで作った浴衣を着たという記憶もないので、そのままどっかにいっちゃったみたいですけど・・・。今持ってたら「何でも鑑定団」だったなあと。それにしてもオバQ音頭ってテーマソングだったような・・・、実際盆踊りで使うようなものではなかったと記憶してますけど。

唐突に論点をかえます。姫野カオルコと孤独について。私はこの作品に限らず姫野作品に一貫して流れる孤高の美しさに胸を打たれます。一人であるとは様々な日常的な茶飯事も、精神的な苦痛も全て引き受けるということです。著者はいろんな所で悩んだり突っ張ったり、怒ったり、愚痴ったりしています。読者も程度の差こそあれ似たようなことを思っていますが、作品を読んだ読者は姫野カオルコから勇気や元気を授かるのです。これはもう救世主、殉教者、奇跡の人、聖人と同じです。スカした文章からは得られない徳です。確かポール・アンダーソンだったと思いますが、「触手」という作品で人々を癒す奇跡のハンドパワーを持った男が、その能力を使えば使うほど消耗して自分の命を縮めていく話がありました。暇人のボランティアではなく、身を削って人々に何かを与えている作家の苦悩と孤独。これを美しいと言われるのは・・・んんー・・・当人にとっては迷惑なことかも。

ハイド版書評
「プリティウーマンが嫌い」

黄昏のベイエリア。ポルシェのリクライニングシートから見る空は、サンルーフのフレームで切り取られた、二人だけのスクリーン。もうすぐ上映時間なのに、彼は私に目をつぶれと言う。私、知ってた。今日のロードショーのタイトルは「星とキス」。彼の唇が私の唇に触れた時、私の胸は輝く星でいっぱいで・・・・・・と、こういうスカした文章をスカ文と言いいます。

私にさえすぐ書けます。ちょっとお洒落なアイテムと単語の組み合わせでいいわけですからね。星とか涙とかキスとか雨とか・以下略。こういう単語をスカ単と言います。文章の職人姫野カオルコにかかれば、もういくらでも脳細胞を使うことすらなく書けるでしょう。 しかし、姫野カオルコはスカした文章が大っっっっ嫌い。

実は私のいる業界がこういうスカ文が多いんですねえ。お洒落なバーの紹介文とか、カクテルのロマンチックなエピソードとかね。軽い洒落のつもりだったら良いんですが、本気でスカしてたりすると私にはホラーとしか思えません。

ところで(こんなこと書いていいんだろうか)お客さんで多いのがプリティウーマン好き。姫野カオルコはプリティウーマンも大嫌い。本書だけでなく他のエッセイなどにもはっきりと「プリティウーマンが嫌い」「プリティウーマンが好きな人も嫌い」と書いています。

で、私・・・はたと気がつきました。私の店に来て「シャンパンにはイチゴが合うのよね」とか「あたしに合ったカクテルを」とか「海岸線のワインディングロードで見た白い家並みと夕日のようなカクテルを」とか言う人たちは・・・たぶん・・・プリティウーマンが好きなのです。

なんだかまとまらないので唐突に論点をかえます。姫野カオルコと孤独について。私はこの作品に限らず姫野作品に一貫して流れる孤高の美しさに胸を打たれます。一人であるとは様々な日常的な茶飯事も、精神的な苦痛も全て引き受けるということです。著者はいろんな所で悩んだり突っ張ったり、怒ったりしています。読者はその痛いほどの孤独を綴った文章のなかから、怒りや悲しみや涙ではなく、なんと「笑い」を見出すことでしょう。そう「スカした文章」に決定的に欠けているものが、この笑いなんですね。

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