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読書を楽しもう・岩波ジュニア新書
2001年1月
本書は岩波書店編集部編で13名の各界識者による読書のススメ。他の人のをまだ全部は読んでいないので、姫野さんの「ふつうの人が遭遇してしまった不運について」ふぅ〜、長いタイトルですなぁ、について書きます。なにせ冒頭が『読書をすすめるのは、いかがなものか』です。

そして、幸福な人は読書をする必要がないと書きつつ、幸福である人の幸福な外見を微に入り細に入り延々と説明をしていきますが、最初フンフンそうだよなあ・・・と思って読み進める内に腹がたってきます。「こんな完璧に幸福な人はいないぞぉ!」やすやすと姫野さんの術中にはまってしまいました。そう。大半の人は、大なり小なり何かしらの不幸を抱えており、それを普通の人と呼びます。そして、そんな普通の人が読書をしないのは、不運と呼ぶ。お見事。

姫野さんは「本を読むということは一冊の本を受け入れることではない。一冊の本と対話することである」と言います。本と対話するというのは、実際に「なにを馬鹿な」とか「そうそう」とか言いつつ読むことでもありますし、あるいは作者の意図や文脈からまったく外れて、別のことを想像したりすることでもあります。そう。こうあらねばならないという読み方はないのです。学校の国語で課される読書には、どちらかと言うと試験の回答を導き出すための予定調和的な読解(よくあるタイプの読書感想文など)を要求されるのですが、楽しみながらする読書には読み方、読解の答えはいりません。

さて、例によって個人的な事例になりますが、古くからの友人が以前は小説を読んでいたのに、最近「〜の方法」とか「〜のススメ」とか「人生の〜」のような本ばかり読むようになってしまいました。本人曰く、フィクションを読んでも役に立たないし時間の無駄だと思うようになったから、とのこと。実はその頃、友人とは楽しい会話が無くなってきていたのですが、その時少し謎が解けました。友人なりに何か悩みや問題があったのでしょうが、その答えをそうしたマニュアル的な本に求めたのですね。しかもそれを受け入れて信じるようになったのです。当人にとっては救いだったのでしょうが、そうした本をそのまま受け入れることで、「別の〜の方法」や「他の〜のススメ」や「人それぞれの人生の〜」を捨ててしまったようです。

話はかわって、映画の原作本について。私はよく映画の原作も読みますが、だいたい原作を読んでから映画を見ると、少しガッカリしますね。映画を見てから原作を読むと、かえって面白く感じたりすることが多いようです。これは映画自体の出来不出来があるので一概に言えませんが、基本的に時間の関係で映画は原作をはしょります。ですからなかなかディティールの面白味は表現し難いのかと思います。キャスティングがはまっている映画だと、原作を読みながら頭の中で俳優が自在に動き始めたりします。映像がなければ自分で想像するしかないのですが、なかなか生き生きとした表情までを想像するのは大変。映画の映像はその助けになることもあります。

しかし、自分で本を選んで楽しんで読んでいる人は、本書「読書を楽しもう」を読む機会は普通ないでしょうし、ましてや本を読まない人が本書を手にすることもないわけで・・・。岩波ジュニア新書ということは、やはり教育現場で、読書に触れる段階の若者に薦めるものなのでしょう。

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