直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

喪失記・角川文庫
97年12月(単行本は94年5月ベネッセ・コーポレーション刊)
内容を語る前に小説の構造について。「私は男に飢えていた」で始まり、「・・・」で終わる見事な円環の様式美に脱帽いたしました。「・・・」は、やはり未読の方のために伏せておきます。と言いながら重大なネタバレ・・・本書にはセックスシーンがありません。ただし、エロティックなシーンは沢山あって、特に料理と食事の描写は完全にセックスそのもの。堪能いたしました。

さて、例によって私が何を想起させられたかと言いますと・・・「尻」。なにもカギカッコで括って丸で止めることもないんですが、「尻」。冒頭の主人公が小さいころの話で、砂を食べることとひきかえに近所の女の子の尻を見せてもらうシーン。私も小さいころ・・・こんなこと書いてていいんだろうか?・・・尻を見せました。実家の隣がお寺だったので、境内とその裏山が私たちの遊び場でした。多分小学3年生ぐらいのことだったと思いますが、私とA子・B男の3人で缶蹴りをしていました。突然A子が「おしっこ」と言ってパンツを下ろし、私たちの目の前で小便をしたのです。私はあ然と立ちすくみ、広がった尿が土に染み込むさまを見ているのがやっとでしたが、B男はA子の正面に座ってじっと性器を見つめていました。そして小便を終えたA子は平然と言いました。「次はあんたたちね」と。私とB男は墓石の後ろでパンツを下ろし、膝に手を置いて馬飛びの馬のような姿勢で並ばされ・・・。そして3人は何事もなかったかのように缶蹴りを続けました。「それがどした」とか「見られたのは肛門だろ」とか言わないように。35年以上前のことなのに隠れてパンツを下ろした墓石の位置まで憶えているのが、自分でも不思議。

姫野作品において少女時代の会話は、方言の魅力なのでしょうか、美しくも妖しく残酷な少女たちの世界を見事に浮かび上がらせます。ところで、本書に限らず男女が外で食事をしたりした時「割り勘にするか男が払うか」という話題がでますけど・・・。私の身近な人たちを見てみると、割り勘派1割、どんな場合も男が払う(あるいは男に払ってもらうのが当然)派7割。相手や場合による派2割でした。ずいぶん前の話ですが、私の店に時々来てた30代のカップルがいました。ある時、女性が席を外したのを見計らって男性の方が「もうしわけない。今日は財布を忘れちゃって」と言うので、私は何も考えず「当店はツケはお受けできませんので、もうしわけございませんが、お連れの方にお支払いいただけますでしょうか」と言いました。すると、その男性、声を荒げて「そんなことできん。男のメンツってものがある」と。私は、まっ、いいかと思い次に来た時にってことで、その場は収まりました。・・・で、次はありませんでした。え〜、完全に書評から離れてしまいました。
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