直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

ガラスの仮面の告白・角川文庫
92年9月(単行本は90年5月主婦の友社刊)
現在手元にあるのは文庫の10版ですけど、私、多分文庫になってすぐ初版を読んでます。今回再読して、そうそうこの話とか思って、わかっていたのに「あなたは、あなたは、あなたは、トレンチ・コートのままだったですよね」で、爆笑してしまいました。作者にとっては、哀しい悲しい寂しい淋しい出来事なのに、読者を爆笑させる匠の業。じんわりと何か慈しむような気にさせてくれます。最も慈しむ私はすっかり、速水真澄のつもりになっちゃってますけど・・・。何だか意味がわからない人は、読んでみてね。

人ゲノムの解析をやってる時代にこう言うのも何ですが、人の育つ環境は時として遺伝よりも強く影響をもたらすのですね。遺伝により全てが決定されるという考え方は、例えば病気やおおまかな性格、体型、等々当てはまるものも多いんですけど、能力や美醜で当てはめると、必然遺伝カースト制みたいなとこに行きつきます。姫野カオルコの遺伝的問題としては、骨太があります。とは言え、西欧の女性には沢山いますし、アスリートの美は骨太だし・・・つまり、問題はなよなよ好きの日本男子(古い言い方ですが、ナショナリスティックな意味でなく単純に日本の男たちの意で使ってます)にあります。全ての日本男子はロリコンでマザコンである。と、もう言い切っちゃいましょ、このさい。え〜と、そうそう、育った環境の問題でした。

八つ墓村。そして戦後民主主義の影すらない両親。これが姫野カオルコの育った環境です。ところが、姫野カオルコは多分隔世遺伝によって受け継いだ豊かな創造力を持って生まれてしまったのですね。対抗すべきカルチャーがあまりにも強力だったがために、カウンターカルチャーは深く姫野カオルコの中に沈潜し、そして純粋培養されてしまったのです。んん〜、自分でも言ってることが良くわかってないのに、こんなこと書いてて良いのか。それが、心配。ちなみに本書は告白とあるから事実を書いたエッセイなのだと思い込む人が多いようですが、小説です。
作品紹介目次へ
ページのトップへ戻る