直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

整形美女・光文社文庫
2015年5月

新潮社文庫から光文社文庫に移籍して発売された。

旧約聖書のカインとアベルの章を下敷きに、美容整形の実態と恐怖をちりばめながら、幸福とはなにかを問うた哲学的物語。

私のように「美人」というものに対してまったくと言って良いほど無自覚というか、定義付けをしたことがない者は途中で頭が混乱し眩暈に似た感覚を覚えることでしょう。私はものごころついてから今まで、ある特定の人を美人だと思うことについて「なぜ?」という疑問を持ったことがありませんでした。ですから本書の阿部子と甲斐子の設定を理論的に納得しつつも、ふとした隙に「私が漠然と思っているあいまいな美人像」が逆に重なってしまい混乱してしまうのです。

読後に様々な女性の顔画像を検索して改めてじっくり観察してみましたが、自分が好きな顔とそうでない顔の差異が自分でもわからないことに気が付きました。そして当たり前のことですが、好きな顔がいわゆる美人の顔とは限らないのですね。美人だけど好きじゃない顔があって、ブスっぽいけどすごく好きな顔があったりします。

整形手術のハードルが下がったこの頃では、私のような素人にもわかる整形顔をよく目にします。その度に私は眩暈に似た感覚を覚えつつ心の中で呟きます。

「あなたは何を基準にして整形したのですか?求める美はどこにあるのですか?」

美意識を根底から問い直す論理実験小説。 以下に聖書のカインとアベルの記述部分を掲載します。参考にしてください。


〈22〉カインとアベル

聖書

人はその妻エバを知った。彼女は身ごもり、カインを生んで言った、「私は主によって、一人の人を得た」。

彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

3日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

アベルもまた、その群れの初子と肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。

しかし、カインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。

そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、 正しい事をしているのでしたら、顔を上げたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません。

カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいた時、カインは弟アベルに立ちかかって、彼を殺した。

主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。私が弟の番人でしょうか」。

主は言われた、「あなたは何をしたのですか。あなたの弟の血の声が土の中から私に叫んでいます。

今あなたは呪われてこの土地を離れなければなりません。この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

カインは主に言った、「私の罰は重くて負い切れません。

あなたは、今日、私を地のおもてから追放されました。私はあなたを離れて、地上の放浪者ならねばなりません。私を見つける人は誰でも私を殺すでしょう」。

主はカインに言われた、「いや、そうではない。誰でもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見つける者が、誰も彼を撃ち殺すことのないように、彼に一つのしるしを付けられた。

カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

(創世記 第四章)


整形美女・新潮文庫
2002年10月(単行本は99年1月新潮社刊)
これは私しっかりと胸に刻みます。自分のコンプレックスに対し自覚的にきっちりと向かい合う強さと美しさ。これです。って、これじゃ書評になりませんね。他の記事を読んでくださった方はもうお解りでしょうけど、私は姫野作品の客観批評をするつもりはないんです。作品に散りばめられた、さまざまな言葉や状況から私自身の個人的事柄を意識的に想起させて語る、という書き方をしています。

で、この「整形美女」ですが、私にとってはタイムリーでした。実はこの一月に電気バリカンを買ったばかりなのです。それと作品と何の関係があるのと問われれば・・・。ん〜、ネタばれになっちゃうかも。私は「西原理恵子」風に言うと、コッパゲ。簡単に言えば「ハゲ」です。カツラを被る気は全然なかったのですが、今まで半端に髪型を気にしていました。2001年一月、思うところあってバリカンを買い、自分できっぱりと坊主頭にしたのです。いやすっきり。これで一生床屋には行かなくて済むし、寝癖ともオサラバです。本書は整形を考えている女性だけでなくハゲの男性にもおすすめ。本の帯には「整形美女はあなたのすぐ隣にもいる!」とあるが、「ハゲのカツラ男はあなたのすぐ隣にもいる」でもよかったのに・・・。

ところで、一月に坊主頭にしたあと、ひさしぶりに会った友人が何も言わないので自分から「どう?この頭?」って聞いたら、友人曰く「んっ? 何か変わったの?」ですって。なんだかなあ。

この物語は、そもそも不確かな基準を元に当人が思い悩み、こうありたいと望むことと、他人からみた感情や思い入れの介在しない見方が、真逆のことも有り得るということを鮮やかに浮かび上がらせます。美醜の基準もしかり。現代日本の人々はボッティチェリのヴィーナスをデブと呼び、叶姉妹が江戸時代にタイムスリップしたら妖怪だもん。たぶん。

ものごとには絶対的基準などないのですが、とは言え日々を生きる個人の幸福が時代の文化風俗に左右されていることも否定できません。鵺のような世界基準(グローバルスタンダード)を追い求める人々もいれば、半径500mの世界を生きる人々もいて、自由な選択肢を持つ者がいて、選択の機会自体のない者がいて・・・。そしてどれが正解なのか、誰が幸福なのかはわかりません。この物語「整形美女」の二人(カインとアベルから名をとった)は、それほど選択肢の多くない状況で、自らすすんでギリギリの選択をし、その結果をきちんと受け止めています。

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