愛はひとり・集英社文庫 99年11月(95年9月幻冬舎刊)
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事情をよく知らないので、この写真入り散文詩とでもいう本作品はちょっと異色に思えます。内容自体はヒメノ式ですから文句ないのですが、わがままな読者の戯言です。猫が好き。いかにもカレンダー写真の小猫じゃなくて、街角の野良だったら味があったのにぃ・・・。
白黒について。これは普通の人(何か作者が普通じゃないみたいですが、普通じゃないです)でも、自分だけで考えている場合には意外に白黒ついてるんじゃないかと思います。特に情緒的な部分では簡単に好き嫌いは出てるはずです。理論的根拠がいらないんですしね。ところが、他人が介在すると、とたんに灰色になってしまう。他人の介在=世間=社会=最大公約数は、共通の儀式的、様式的な文化コードの上に成り立っていますから・・・フッ。要するに「赤信号みんなで渡れば恐くない」ってことになっちゃうわけですね。全ては自分の判断に対する責任回避。しかもなんとなく周りが動いたからいっしょに行く無自覚。赤信号だろうと、信号のない所だろうと渡りたい人は自分の判断と責任で渡れば良いんですけど。 作者の不幸はそのことに自覚的であること、読者の幸福はそれに気付かせてもらってしかも元気と勇気を与えてもらうこと。もひとつ作者の不幸は、無自覚でワガママでエキセントリックな在り方と混同されやすいこと。作者、姫野カオルコは全っっっっ然、ワガママじゃありません。だって、作者の望みは健康な相手と毎日いろんな話をしながら、多分手を取り合って散歩することだけなのですから。 |
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