直木賞作家『姫野カオルコ』(姫野嘉兵衛)の応援サイト。ディープな読者も初めての方も大歓迎。

終業式・角川文庫
2004年2月
本書は99年3月に新潮文庫として発売された。単行本は96年光文社刊の「ラブレター」
これは全文、手紙・ハガキ・ファックス・交換ノートなどだけで構成された小説。手法自体はオリジナルではないけれど、冒頭から意表をつかれる。見知らぬ他人の世界(しかも女子高生)にいきなり放り込まれて何のことやらさっぱりわからんもの。45才の男としては、ちょっと娘の部屋を覗いてしまったり、電話を盗み聞きしてるような感じ・・・あるいは娘に「もうお父さんとお風呂にはいるのは、や」とか言われて、「チッ、なんだよ。とうちゃんの唯一の楽しみなのにー」とか言いつつ風呂場のドアを開けたら、娘に毛が生えてて・・・キャーエッチィーと言われた時の感じ(私独身なんで、みんな想像だけど)。

ただ読み進んでいくうち、遠い昔に胸の奥に仕舞って忘れていた何かが、ザワザワと蠢き始めて、甘酸っぱい17才の想いに45のオヤジが戸惑ってソワソワ一人赤面。だってね、私も恥ずかしながら同級生の女の子と交換ノートやってたんだもの。

その娘とは二人で体育祭をズル休みし、バスで1時間かけて霞ケ浦湖畔の病院に行った。共通の友人(男)が結核で療養中だったからだが、実は彼とはそれほど親しい間柄ではなくて、お見舞いは完全に口実だった。病院へ行ってみると結核の療養棟はみすぼらしくて、ドヨーンと重たい静けさに満ちていた。友人が暗い口調で「体育祭かあ、君たちは最後なのにいいの?出なくて。俺は留年するから来年があるけど・・・」と言うのを聞いていたら、自分がこんなんでいいのかと思い始めて・・・。ちょうど親や担任と進路のことで揉めていた時期。彼女と二人デパートでナポリタンかなんかを食べながら、どんどん口数少なくなっていったあの日。家に帰れば、いきなり学校さぼってどこ行ったと問い詰められて(父親は私が行ってた高校の教師)灰皿飛ぶは母親泣くはの積み木くずし状態。修学旅行では別の娘に告白するは、朝の通学路でいつも遅刻しそうな時間にすれ違う他校の娘にラブレター渡しちゃうは、んー、思えば怒涛の高校生活であったことよ。

こう書いてると軟派みたいだけど、2年まではバリバリの体育会系。サッカー命。ところが、3年になってすぐ怪我でしばらく運動が出来なくなって、色恋に目覚めちゃったのね。あと音楽方面にも目覚めちゃって、勉強そっちのけでギター練習の日々。これ全部時系列に沿って思い出したわけじゃなくて、本書を読んでるとちょっとした部分がスイッチになってあれこれ浮かんできちゃいます。たぶん読者それぞれのスイッチがちりばめられてて、このあたり姫野カオルコの文章技術のすごいところです。ちょっとした曲のタイトルとか、タレント名とか、深夜放送とか。

物語は高校卒業、大学時代、就職、結婚、離婚、再婚と続いて行くが、基本的な人間関係は高校時代からの延長にある。私自身も、高校時代からの人間関係がずっと続いていて、田舎では高校の同期が大学の同期よりずっと濃密な繋がりを持つみたい。17才あたりの時期に友人になることの意味は大きいね。というか一生の宝物だと今になって実感。

先に手法はオリジナルではないと書いたけど、ファックスの使いかたが絶尿・・・?ん??絶妙。いや失礼。打ち間違い。だけど何の疑問もなく絶尿って変換するところがなー、馬鹿だぞパソコン。もともと往復書簡集みたいな手法はあったけど、本書はそれの進化型。これがメールのやり取りまで行っちゃうと理由はわからないけど行間の想いみたいのが読みにくい。メディアの質が違うわけで、メールはやっぱりPC画面上で生きるみたい。そういう意味で、この作品「終業式」は書簡型文学の最終到達点と言える。

作品紹介目次へ
ページのトップへ戻る