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謎の毒親(相談小説) 新潮社刊
2015年11月
以前YomYomに掲載されたものを全面的に書き直した作品。

  一般に「毒親」のイメージは、明らかな虐待や育児放棄から子供の躾に厳しすぎる親まで様々です。本作は姫野作品でお馴染みの両親から受けた謎の「仕打ち」について、書店情報誌の相談コーナーに投書し、それに何人かの識者(いわゆる家庭問題の専門家というわけではありません)が答えをかえす相談小説という体裁をとっています。

こう言ってはなんですが、提出される謎はあまりに不思議でちょっと読んだだけでは到底何らかの答えが出てくるとは思えないものばかりです。それぞれのエピソード自体が事実に基づいていることに唖然するばかりですが、姫野さんの幼少時の記憶は、なんとなく覚えているなどというものではなくて細部にいたるまでそっくり記憶されている「映像記憶」と言われているもので、かの谷崎潤一郎やゲーテも持っていたといわれる特殊能力と言って良いと思います。

その能力をもとに描写される作中両親の様子は、こう言ってはなんですが不思議と言うよりは不気味でさえあります。ところがそうした理解不能の「仕打ち」の描写があまりに生き生きとしていて、内容自体がありえないことなのにリアリティに溢れています。それなのに随所で(んな、あほな!)と、つっこみをいれたくなるという妙な味わいの小説です。

私の子供の頃の記憶はもう曖昧模糊(おぉー、一発変換)として、本当に断片だけがモザイクのように思い出されるだけなのですが、本書を読んでいて鮮やかに思い出したことがありました。多分私が幼い頃、父親のひざの上に乗って何か遊んでいた時のこと。楽しく遊んでいて何かの拍子に私が「ばーか」と言ってしまいました。特に父親に向かって言ったつもりもなかったのですが、それまでニコニコしていた父親が突然私の腕をつかんで「今なんと言った。馬鹿と言ったな。誰に向かって言っているんだ」と激怒しました。そして後にも先にもその一度だけなのですが、こぶしで頭をど突かれました。

それ以来、私は親にバカと言ったこともないし、ひざに乗って遊ぶこともなくなりました。 それだけ。でも、この小説を読んでいる最中にその時の拳の硬さと痛さまで思い出してしまいました。いつもながら姫野作品の記憶喚起力には驚きます。親に馬鹿と言ってはいけないのは誰でもわかりますが、なぜそこまで激怒したかには少し謎が残ります。何かの集まりの席に母方の親戚のおばさんがよく「おじちゃん(父)はものすごく頭の良い人だから・・・」などと言うことがあって、高校の教師だった者に対して言うにはちょっと大袈裟かなと思ってはいました。

で、また思い出しました。同級生の父親が言っていたこと。旧制中学で私の父親が2学年上にいて、学年で成績トップ3の生徒だけに与えられるバッジかなにかを付けた私の父親が憧れだったとのこと。つまり本当に頭が良かったのだろうと思われます。でもなあ・・・。だからと言って幼い子供に軽い感じで「バーカ」と言われたからと言って本気で頭をど突くかなあ???と、不肖の息子は思うわけです。その息子が大学には行かずに東京の楽器店で働くことにしたなどと言い始めた時の父親の思いは忸怩たるものがあったのだろうなあ、などと想像は広がっていつのまにか記憶のバブルが頭の中で弾けて飛んでいます。

それにしても本作の回答者たちは、謎の解明に真摯に取り組んでいて人生相談の答えとしては素晴らしいですね。人が他人に自分の個人的な事情を事細かく説明する機会は意外と少なくて、たいてい詳しい背景の説明なしに語られた問題にはいわゆる定型の答えしか返ってこないもの。答えを出すというよりも相談する側も答える側もきちんと納得する着地点を見つけ出す過程で、何かがストンと腑に落ちるというのがこの相談小説の醍醐味でしょう。

最後にひとつ。もしあなたが親と理解し合えなくて辛く苦しいのなら、家庭内で問題を解決しようとぜずに第三者に相談しましょう。答えはでないかもしれません。それでも状況が変わらないなら、全力でそこから脱出することを考えてください。

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