受難・文藝春秋社刊より抜粋・・・いわずと知れた「乙女の祈り」。第一章のタイトルになっています。実は私、この「羽根飾」を持つと言うことを深く深く心に刻んで「ジキル古賀」を名乗らせていただくことにしたのです。自分のつまらぬプライドを守るために、他人に恥をかかせることのないよう、古賀さんの名前を使わせていただいてます。私が調子に乗ってえらそにしてたら、耳元で「羽根飾」と囁くとハッと我にかえります。
。 エロス(=恋愛)にもありとあらゆるかたちがある。
よく女は
「私のカラダだけが目当てだったのね」
と怒るけれども、
目当てにされる肉体を所有していることで
さいわいではないか。
「きみの瞳は美しい」と
「あいつのパイオツはすげえぜ」といったいどこがちがうのか。
テニスが好きな男女がテニスで知り合い
テニスで愛をはぐくむのと、
女の尻にビーンときた男が尻をさわりたくて
尻をさわりあううちに愛をはぐぐんだり、
ハンサムな男の顔にステキと思った女が
ハンサムな顔に近づきたくて近づけているうち愛をはぐくむのと、
いったいどれかが「それはほんとうの恋愛ではない」
などと非難できるか。どれかが、
「これこそが真実の愛」などと判定できるか。
「行く河のながれは絶えずして、しかも、
もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びてひさしくとどまりたるためしなし」
だからこそ。
と、フランチェス子は古賀さんに言った。
「だからこそ、流れているときにせめて
だいじにしたいのは羽根飾。
騎士が帽子につけてるあれよ。
自分が恥をかいても他人には恥をかかせないという騎士道」